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日々のことをつらつらと。

感情の放出

今日は忘年会だった、早すぎる気もするが。一次会は上手くいったと思う。その後、私を含め数名が残り道端で話し合う。もちろん抜けたメンバーの話になる。あいつは何でああなのだ、と。二次会に入った店でソレは起きた。

我々の感情は高ぶっていた。店員に対しての口調も厳しいものになる。そこで問題が発生するのだ。店員だって人間だ。キツい言葉には苛立ちを覚える。当たり前だ。そう、我々は店員を怒らせたのだ。それは些細な事なのかも知れない。だが、悪いのはどう考えても我々なのだ。店員は言う。帰れと。我々は許しを請う。だが、いかに店員が怒りに任せた発言だと認識したところで、それは至極当たり前の事だ。店員も途中で感情が冷めたのか、こっちにも非があると認めたが、そんな事はない。先に述べたように非は我々にこそあるのだ。

我々は店を後にする。一人が言う、つまならない店だと。私にはそうは思えなかった。店員には店員なりのポリシーがあっただろう。だが、同様に我々には我々なりのポリシーもあるだろう。お互いがお互いを譲り合えなかったのだ。非は我々にある。それも認め謝罪はした。だが、それを受け入れたとしても許せかなった部分が店員にはあったのだろう。

私はただ単純に悔しかった。お互いが譲り合えなかった事にじゃない。謝罪した事にじゃない。話し合う場を失った事にだ。私は気付いた。私が一番感情をあらわにする時は、怒りでもなく、喜びでもなく、悔しさなのだと。私は気付いた。悔しさこそが、私にとって全ての引き金なのだと。

これを読んだ君は何を思うだろうか。私は謝りたい。これを読んで不快に思った人達に。そして、この場を感情の捌け口にした事に。

追伸。我々人間は、こうしてぶつかり合う事こそが本質に近づく鍵であり、本質そのものだと思う。そして、私はこう思うだろう。悪かったと。これからぶつかり合うだろう人々に。今も尚、ぶつかっている人々に。今までぶつかり合った人々に。こんな不器用な人間とぶつかった事に対して悪かったと。