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日々のことをつらつらと。

溝と空間

引き金を引くのは簡単だが、銃弾の威力は想像を絶する。

会社の友人とケンカ中。発端は些細なことだった。友人のネタ発言をネタと知らず暴言を吐いた。数日後に無関係な場所で、あの発言はネタ発言だったと知るも許せない部分があった為に、現在進行形で口を聞いていない。もう 2 週間以上にもなる。

始まりの数日後、他愛の無い会話を友人が繰り出した。以前にも似たような事があり、その時は他愛の無い会話から仲直りが出来たが、今回は私はそれをしなかった。他愛の無い会話から仲直りをする。一件には触れもしない。それは私の中で"無かった事"に感じた。そうじゃない。それは確かに起こり、確かに存在した。それに対して苦悩した事さえ、無かった事になるのは御免だ。故に今回は"無かった事"を回避しようと、他愛の無い会話をしなかった。後に気付くことになる。それこそが誤りだったのだと。

溝は空間を容易く分断する。

無言の硬直状態は数日続いた。お互い目を合わせることも無く、口を開くのは挨拶のみ。まるでそこに居るのを否定するかのように錯覚するのは簡単だった。私はここに居る。だが、それを見ない。私の苛立ちは発端に至った発言よりも、"存在否定"に向かった。

閃きとは最も簡単な奇跡だ。

苛立ちが増す毎に、考えは自己防衛に走る。その言い分はもはや大した意味を持たないことは知っている。考え方を変える簡単で難しい方法は客観的に見る事。私は本当はどうしたい? 何を望むか? ある映画からの引用だ。答えは、…はっきり言って良く解らなくなっていた。他愛の無い会話になるのは避けたい。いきなり本題を切り出すか? それには余りに溝が深すぎる。…何が、したいんだろう。

始まりの数日後、他愛の無い会話を友人が繰り出した。何故だろう。―お互い目を合わせることも無く。何故だろう。―いきなり本題を切り出すか? それには余りに溝が深すぎる。友人は"きっかけ"を作りたかったのでは? 友人は早くにこの考えに至ったのでは? それに気付いたとき、自分がどれほど自己防衛していたのか思い知った。何を意地になっていたのだろうか。友人はチャンスを与え、私はそれを見なかった。存在を否定していたのは私の方だったのだ。それに気付いたとき、苛立ちが消えると共に、自分の馬鹿さ加減に落胆した。同時に安心感も感じた。明日は話そう。他愛の無い会話でもいい。それこそが"きっかけ"なのだ。

引き金を引くのは簡単だが、銃弾の威力は想像を絶する。だが、そこに救いはある。